「障害のある子どもに、教育は必要なのか。」
今では、この問いそのものが不思議に感じられるかもしれません。
しかし、今から130年以上前の明治時代、日本では知的障害のある子どもたちに対する教育や福祉の仕組みは、ほとんど存在していませんでした。
そんな時代に、知的障害のある子どもたちの教育に人生をかけた人物がいます。

石井亮一(1867~1937年)です。
石井亮一は、日本の知的障害児教育・福祉の先駆者として知られています。
そして、彼が1891年に創設した「滝乃川学園」は、日本で最初の知的障害児者のための福祉施設とされています。(社会福祉法人滝乃川学園)
きっかけは、濃尾大地震だった
1891(明治24)年、岐阜・愛知地方を中心に濃尾大地震が発生しました。
当時、立教女学校の教頭を務めていた24歳の石井亮一は、震災によって親を失った少女たちを救うため、孤児の救済活動に乗り出します。
そして同年12月、「孤女学院」を設立しました。
ところが、そこで石井は一人の知的障害のある少女と出会います。
この出会いが、石井亮一の人生を大きく変えることになります。
当時の日本には、知的障害のある子どもをどのように教育すればよいのか、そのための十分な知識も制度もありませんでした。
そこで石井は、自ら海外に渡り、知的障害児教育について学びます。
1896年にはアメリカへ渡り、知的障害児教育の施設などを視察しました。帰国後、知的障害児教育に本格的に取り組み、1897年には「孤女学院」を「滝乃川学園」と改称しています。(社会福祉法人滝乃川学園)
「その子に応じた教育」という考え方
石井亮一の先駆性は、単に「障害のある子どもを保護した」ことだけではありません。
滝乃川学園では、
「その子に応じた教育を施せば、その子なりに発達する」
という考え方が大切にされました。(社会福祉法人滝乃川学園)
これは、現在の特別支援教育や発達障害支援を考えるうえでも、とても重要な考え方ではないでしょうか。
子どもを、
「できる・できない」
だけで判断するのではなく、
「この子には、どのような方法なら学べるのか」
と考える。
これは、現代の個別支援にも通じる発想です。
もちろん、明治時代と現在では障害についての知識も、人権についての考え方も大きく異なります。
それでも、
「一人ひとりに合わせて教育する」
という発想には、現在にも受け継ぐべきものがあります。
そして時代は、福祉制度へ
石井亮一が活動した明治時代には、現在のような障害福祉制度はありませんでした。
そのため、障害のある人を支える活動は、先駆者たちの努力や民間の慈善事業などに大きく支えられていました。
その後、日本では少しずつ障害児・障害者福祉の制度が整えられていきます。
そして2000年代になると、大きな転換点が訪れます。
2004年には発達障害者支援法が成立しました。
それまで発達障害は、障害福祉制度の「谷間」に置かれ、必要な支援が届きにくい状況がありました。
発達障害者支援法は、自閉症、アスペルガー症候群、学習障害、ADHDなどを含む発達障害について、早期発見・早期支援だけでなく、教育、福祉、医療、就労などを含めた総合的な支援を進めることを目的とした法律です。(WAM)
さらに2005年には障害者自立支援法が成立し、2006年から段階的に施行されました。
その後、障害者自立支援法は改正され、2013年から現在の障害者総合支援法へと引き継がれています。
「保護」から「自立」へ
ここには、障害福祉の大きな変化を見ることができます。
かつては、
「障害のある人を守る」
という発想が中心でした。
しかし、現在の障害福祉では、
「障害のある人が、その人らしく地域で生活することを支える」
という考え方が重要になっています。
これは「何でも一人でできるようにする」という意味ではありません。
必要な支援を受けながら、自分らしく生活する。
学ぶ。
働く。
人と関わる。
地域で暮らす。
そうした人生そのものを支えていくことが「自立」の考え方です。
滝乃川学園も現在では、利用者の人格と尊厳を守り、それぞれにふさわしい支援を行うことを理念として掲げています。(社会福祉法人滝乃川学園)
石井亮一と、現代の発達障害支援
では、100年以上前の石井亮一と、現在の発達障害支援にはどんなつながりがあるのでしょうか。
私は、その一つが、
「人を型にはめない」という姿勢
だと思います。
学校では、
「授業中は座っている」
「みんなと同じように勉強する」
「決められた方法で課題をこなす」
ことが求められます。
しかし、発達障害のある子どもの中には、それが非常に難しい子もいます。
だからといって、
「やる気がない」
「わがまま」
「勉強ができない」
と決めつけてしまえば、その子の可能性を狭めてしまいます。
大切なのは、
「なぜできないのか」ではなく、「どうすればできるのか」
を考えることです。
これは、石井亮一が100年以上前に実践した「その子に応じた教育」という考え方にも通じるものではないでしょうか。
学習支援も「福祉」の一部になり得る
私たちエコールカプリスでは、単に学校の勉強を教えるだけではなく、
発達障害・グレーゾーン・軽度知的障害・不登校など、さまざまな事情を抱える子どもたちの学びを支えること
を大切にしています。
もちろん、塾は福祉施設ではありません。
医療的な支援を行うこともできません。
しかし、子どもが長い時間を過ごす「学びの場」であるからこそ、
「勉強ができるようになる」
だけではなく、
「ここなら安心して勉強できる」
「失敗しても大丈夫」
「自分にもできることがある」
と思える場所をつくることには意味があると考えています。
石井亮一が活動した時代には、発達障害者支援法も障害者総合支援法もありませんでした。
それでも彼は、目の前にいる子どもを見て、
「この子にも教育が必要だ」
と考えました。
現代の私たちに必要なのも、制度だけではないのかもしれません。
制度を活用しながら、最後は目の前の子どもをよく見ること。
その子に合った学び方を考えること。
そして、その子の「できる」を一緒に探すこと。
それこそが、石井亮一から現代の私たちが学べる大切な姿勢なのではないでしょうか。
まとめ ― 福祉の歴史は、目の前の一人から始まる
石井亮一が知的障害児教育を始めたのは、国の制度が整っていたからではありません。
目の前に、一人の子どもがいたからです。
そして、その子に教育の可能性があると信じたからです。
1891年の孤女学院から始まった取り組みは、滝乃川学園へと発展し、日本の知的障害児者福祉の歴史の一端を形づくりました。(社会福祉法人滝乃川学園)
そして現在、日本には発達障害者支援法があり、障害者総合支援法があり、特別支援教育や放課後等デイサービス、発達障害者支援センターなど、さまざまな支援の仕組みがあります。
しかし、制度があればすべて解決するわけではありません。
「この子には、どんな学び方が合っているのだろう?」
と考えること。
その子の可能性を最初から決めつけないこと。
そして、その子が自分らしく成長していくための環境をつくること。
100年以上前に石井亮一が始めた挑戦は、今も私たちに問いかけているように思います。
エコールカプリスも、地域の子どもたちにとって、そんな「学びの場」の一つでありたいと考えています。
「勉強が苦手」だけで、その子の可能性を決めない。
それが、私たちの学習支援の基本です。
このテーマ、かなり良いと思います。特に**「石井亮一 → 知的障害児教育 → 発達障害者支援法 → 障害者自立支援法・総合支援法 → 現代の塾での学習支援」という流れにすると、単なる偉人紹介ではなく、「なぜエコールカプリスが発達障害の子を支援するのか」につながる記事**になります。
なお、滝乃川学園は現在も石井亮一の理念を引き継いで活動しています。(社会福祉法人滝乃川学園)
